りんご整骨院は夫婦で診療しています。
りんご整骨院に興味を持ってくださりありがとうございます。
おそらく読れている方は
「整骨院」に対する不安
「どんな人が施術をしているのか?」
という不安があると思います。
少しでもその不安が安心に変わればと思い
プロフィールと想いを書いています。
是非お読みください!
はじめまして りんご整骨院 奥野廣一です
病気なのか、なにから来る痛みなのか気になる事ありますよね。
「病院に行くべきか、否か」多忙な日常の中、判断が難しいことも多いです。
そんな時はぜひ、ご相談ください。
徒手検査や日常生活の話を聞いて、判断させていただきます。
病院から「経過観察」と言われたが、出来るだけ早く改善させたいなどのお悩みにも対応します。
痛みは抱えずにまずは相談してください。
生年月日 | 1980年10月21日生まれ(てんびん座) | |
出身地 | 大阪府枚方市出身 | |
仕事の保有資格 | 柔道整復師 | |
学生時代の部活動 | 中学時代:陸上部 高校時代:バレー部 大学時代:スノーボード等 | |
趣味遍歴 | 一時期のサラリーマン時代:ゴルフ 整骨院勤務時代:マラソン |
相談してください、その痛み
学生時代にストレスと体の反応について実感
私の学生時代を一言で表すと「器用貧乏」
勉強も運動もまじめに行い、「そこそこ」できてしまう。
ただそこに熱意は生まれない。そんな学生生活でした。
小・中学校時代は大人のいう通りにして「そこそこ出来る」のに、なぜ学校に行かなくてはならないのか?
そんな謎のストレスを抱えていました。
しかし当時の社会的風潮により、学校には無遅刻無欠席。
その為、夜に眠れない・夜中の金縛り・日中の強烈な腹痛
今考えると全てストレスによる体の反応でした。
中学校時代に気が付いたのですが、気の合う友人と遊んでいるときは
この体の症状は起こらないのです。
このころにおぼろげながらストレスとは本当に体に影響が出てくるんだなぁ~と実感しました。
サラリーマン時代に「人を大切にしないといけない」と痛感
サラリーマン時代は派遣会社の営業マンをしていました。
当時は『派遣切り』が社会問題になっていました。
ニュースでもよく目にした時期です。
私の担当していた派遣の人(ひとり親でまじめに働いていた方)が
まさに派遣切りにあいました。
この方は職場でも高評価でしたが、関係なく派遣切りにあいました。
人の生活をいきなり潰したような感覚でした。
罪悪感や気持ちの整理がつかない為、上司に相談したところ
「派遣で働いている人は結局、底のない砂時計の砂だと思えばいいんじゃない?」
と言われました。
真意は分かりませんが、私には人をモノとして扱えってことかっ!とモヤモヤしました。
この時の上司の顔は魂の抜けた人形の様でした。
人を大切にできない人はこんな顔になるんだと痛感させられました。
友人を救った東洋医学
大学時代、スノーボードで腰を負傷した友人がいました。
病院では「椎間板ヘルニア」の診断が出て、背中を切る手術を勧められました。
*現在は研究も技術も進み、背中を切って手術を行うことは少なくなってきました。
しかし当時はその手術か、そのまま置いておくかの選択のみでした。
友人はとても悩んだそうです。
結果、手術はせずヘルニアと付き合いながら生活していくことを選択しました。
その後、社会人になってからその友人からスノーボードへの誘いがありました。
大丈夫なのか尋ねたところ、トレーナー件鍼灸師をしている方の施術で
上手く腰痛をコントロールできているとのこと。
この治療家の考え方は、自分を追い込んで「上手くしないと」
「もっと頑張らないと」とストレスをかけた際に体は壊れるというモノでした。
なるほどなぁ~っと納得しました。
資格を取得し治療家の道へ
大学を卒業し、サラリーマンを経て再度専門学校に入学しました。
学生時代に自分が経験したこと
→ストレスでお腹が痛い・金縛りにあう・夜に眠れない
サラリーマン時代に感じたこと
→ストレスで体に痛みが出ている人・抜け殻の様に疲れている人
こんな人たちを大切にし救う手助けができればと思い資格を取得し治療家の道を
歩んでいます。
整骨院の会社に勤めていた時は3院ほど院長として院を任され日々色々な方の症状を
診ていました。
りんご整骨院開業
2012年5月7日 整骨院グループの会社を退職し「りんご整骨院」を開業
治療家としての想い
すべての幸福の土台は心と体の健康です。
あなたの心と体の健康の土台を揺るがしているのは、今あなたが感じている「痛み」「コリ」「不快感」「病気」「ストレス」などです。
私の施術で医療の検査では異常のない、慢性的なお悩みを解消するお手伝いができれば幸いです。
りんご整骨院 奥野廣一
こんにちは 女性施術者 大庭(奥野)梨恵です
「体のゆがみ」について気になりませんか?
二足歩行の為、必ず人にはゆがみが生じます。
それを放置していると、急な痛みや慢性的な痛みとして現れます。
顎がゆがんでいる、肩の位置が左右で違う、骨盤の高さが左右で違う。患者さんでも町行く方でもよくみる事です。
気になる=体からのサイン
そのサインを受け取って、体をケアしてあげるのはいかがでしょうか?
ゆがみの相談は私にお任せください。
生年月日 | 1983年8月30日生まれ(おとめ座) |
出身地 | 兵庫県川西市(奥の方) |
学歴 | 市立東谷小学校・東谷中学校・県立北陵高校 聖徳学園社会体育専門学校 大阪凰林医療学院/柔整科 |
学生時代の部活動 | バスケットボール部(ミニから審判を経て28歳まで) |
学生時代の運動 | バスケットボール・水泳(専門学校時代) マラソン(専門学校時代)・柔道(専門学校時代) |
趣味 | おいしいものを食べること |
話てみませんか?こころの違和感。
私の生い立ち
私には5歳離れた兄がいます。
兄はスポーツ万能の脳筋タイプでした(笑)
兄は小学2年生ごろからサッカーをしていました。
私は特にしたいスポーツもなく、毎日友人と遊んでいました。
ある日、母に「バレーかバスケどっちを習う?」と聞かれました。
しない選択はなく、当時怖かったバレーは殴られるよっと言われたので実質
選択肢なし。
ならばバスケを・・・と始めて、結果28歳まで続けました。
小学校は楽しく、中学校ではいい友人に恵まれ、高校ではケガに苦しみました。
高校生になるとケガをした友人にテーピングを行う事が増えました。
プレー後に軽いマッサージなども行うようになり、面白いなぁ~と漠然と感じていました。
自分自身ケガが多く、工夫を凝らしプレーをするタイプだったのもあり
いろいろ試行錯誤を重ねていました。
精神的な病にかかった20代
19歳の時に当時通っていた学校で、問題が発生しました。
その問題により、精神的にまいってしまった私。
半年~1年ほどは「なぜ、こんなにも苦しいのか?」がわからず過ごしていました。
友人の「心療内科行ったらどうだろうか?」の言葉で、病院を探しました。
何軒か尋ね、ココかなと思う病院で長い治療が始まりました。
お薬が合わず、後天性のてんかんになりいろんなところで救急車に運ばれもしました。
親、特に母親に迷惑をかけました。
自暴自棄にもなり、これも母親を怖がらせていました。
しかし、26歳頃からお薬もなくなり精神的にも少し強くなりました。
現在はそのおかげか患者さんのお悩みに対しても、理解が深まりました。
しんどい時にしんどいは言えないものだと痛感しているからです。
だからこそ、寄り添う施術者でいれたらと思います。
施術家になるきっかけ
このきっかけは、両親がお世話になっていた2人の先生のおかげです。
始めはスポーツトレーナーを目指していました。
しかし心の病で学校を途中でやめました。その結果、半年のフリーター
夢も何もないまま、病院通いのみを続けていました。
その話を親が、2人の施術家の先生にしたようです。
その一人のA先生は「話を聞きにおいで」とご自身の治療院に呼んでくれました。
そこでこの業界の話を始めて聞きました。
しかしもう老舗の学校の募集は終わっていたので「一年棒に振るしかない」でした。
困った・・・と思っていた時に、もう一人のB先生から「恩師が働く予定の学校があるんだ。今年開く新設校で、まだ募集しているよ」と運命を感じ見に行きました。
まだ工事中でしたが、対応してくれたB先生の恩師の方が推薦状を書いて下さり、その後の入試もなんとか合格し無事入学しました。
治療家としての目標に挫折し立ち向かう
その後なんども「自分に治療家は合っているのか」という適性を感じれない日々を過ごしました。
度重なる転職や、別の仕事をしていた時期もあります。
離れて考えても、結局根本は変わらないものです。
人の痛みや不安、辛さに寄り添いたいという気持ちだけは変わりませんでした。
自分を強く持つことは難しいことです。
でも誰かをほんの少し笑顔にすることは自分にもできるはず!
その精神で今、治療家をしています。
治療家としての思い
まだまだ日々精進です。
しかし日々患者さんと向き合い、常に求められる存在でいたいと思っています。
ストレスや体の不調に関して、話すことで楽になる方・ゆっくりして楽になる方
その方に合わせた施術をご提案しています。
安心・安全を兼ね備えて患者さまにとってのベストを提供できるようにしています。
不安なことや心配事は体の不調として必ず出ます。
それを解決するのが我々です。頼ってください。
大庭(奥野)梨恵
最後まで読んでいただきありがとうございます。